今回は、NHKで3月13日(月)の22時25分から放送予定の「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演される。
畠山重篤さんについて調べていきたいと思います!
畠山重篤さんは、宮城・気仙沼でも特別な存在のカキ養殖のプロなんだそうです。
以前、気仙沼湾で赤潮が発生した際に、森に木を植えることで、海を蘇えらせようとされたそうです。
海と森とは、川を通じて密接な関係があるのだと以前聞いたことがあります。
畠山重篤さんとは、どのような方なのでしょうか?
また、植林活動をされたことで、どのように海がかわっていったのかが知りたいと思います。
では、さっそく調査していきたいと思います!
畠山重篤さんのプロフィール

◆名前:畠山重篤(はたけやま しげあつ)
◆生年月日:1943年10月7日(73歳)
◆職業:日本の養殖漁業家、エッセイスト、京都大学フィールド科学教育センター社会連携教授。
中国・上海に生まれ、終戦後、父の実家がある宮城県唐桑町へ移住する。
宮城県気仙沼水産高等学校卒業後は、牡蠣、帆立の養殖に携わります。
漁業において上流山間部の森林が果たす役割の大きさに着目し、
家業のかたわら、気仙沼湾に注ぐ大川上流の室根山への植樹運動を続ける。
その活動は歌人・熊谷龍子の短歌の一節から「森は海の恋人運動」と名付けられ、
小中学校の教科書にも掲載されている。
畠山重篤さんは、東日本大震災の津波で地区の9割の家をのみ込まれてしまい、家族を失ってしまいました。
育てていたカキのほぼ全滅し養殖にとって命ともいえる舞根(もうね)湾の海中には、瓦礫(がれき)や泥が降り積もった状態になってしまいました。
昭和40年代以降、赤潮が頻発するようになった気仙沼の海が、長い時間をかけて元の姿を取り戻していくのを経験した。
「海を恨んではいない。海は必ず戻ってくるから。」
地区の仲間たちが呆然とする中、畠山さんはいち早くかき養殖を再開させたということです。
畠山重篤さんの牡蠣の養殖とは?
畠山さんの牡蠣は、大粒で、うま味が濃厚の極上の牡蠣と評判なんだそうです。
牡蠣は、海水の中の植物プランクトンを食べて育つのだそうです。
そのためプランクトンの量がカキの品質を左右するということです。
プランクトンの量は、森の腐葉土から溶け出す鉄分の量に左右されると考えれています。
ということで、出来が良い牡蠣かどうかは、上流の森の状態を見れば分かるのだそうです。
畠山重篤さんの植林活動とは?
畠山さんは、きれいな海を育むために、23年もの間、2万本以上の木を植えてきたということです。
牡蠣の養殖業をしながらの植樹活動を続けることは、労力も時間もかかり、実際に効果が現れるのは、50年後、100年後なんだそうです。
もうすでに、畠山さんはこの世にはいないということになります。
将来を担う子供たちや、海で仕事をしていく方の将来を見据えての活動だと思いますが、その人としての優しさが牡蠣の味にも影響するのだそうです。
海の中にも「森」があるということなんですが、海の恵みというのは底が深く、海の中にも熱帯雨林と同じような力を持つ「森」があるのだそうです。
陸では植物が二酸化炭素を吸って酸素を出しますが、海の中でも同じことが起きているということです。
海に囲まれた日本では、約2万1,000本もの川があり、日本海と太平洋に流れ込んでいっているのです。
国土の7割が森林で、そこからこれだけの数の川が海へと流れ落ちている。つまり、もう一つの森林に囲まれているということなんだそうです。
川からは、植物プランクトンが必要とする栄養分が流れ、それを食べて植物プランクトンが光合成をし、酸素を出すということです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?今回は「畠山重篤のプロフィールと牡蠣の養殖とは?植林活動についても気になる!プロフェッショナル 仕事の流儀」というタイトルでご案内しました。
牡蠣の養殖といっても奥が深んだなぁと思いました。
畠山さんは、1990年からは、子供たちを招いて体験学習も行っているそうです。
将来を担う子どもたちに、自然環境の大切さや食の安全なども伝えていらっしゃるということです。
畠山さんが苦労されてきたこと『優しさ』やひととなり、とても素晴らしい方でしたね。
では、最後まで読んで頂いてありがとうございました